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四季の森はその名にふさわしく、数種類の樹木があり、四季おりおりに人々の目を楽しませてくれる。 その森の中、壇ノ浦で源氏方に追われた平家の姫やその郎党が休憩したという平家岩と平家の泉がある。
礒多が作品の中で「残生を送りたい」と記した地。現地には、作品「秋立つ日」を記したサインが設置されている。ここから見下ろす生家は、礒多が見たであろう風景と重なり、感慨深い。
生家前の山際の道は、礒多が小学校まで通った道で、「礒多の道」と呼ばれています。現在、生家の前の上ケ山公会堂の前から妙見社までの約1kmの道が残っています。
仁保三古社の一社で、主神は天御主命、大内氏ゆかりの神社として、拝殿の桁に大内菱の紋章が彫られており、 創建は大同2年(807)と言われている。嘉村礒多の作品(神前結婚)の舞台でもある。
礒多が通った旧大富小学校の校庭に設置されている碑。東京での創作活動の中で、望郷の念を抱いていた礒多の想いと地域の人々のやさしさに触れることができる場所。